[PR]
総合離婚情報「リコナビ」
なぜか人気の防犯アイテム「センサーライト」で侵入者を静かに撃退!

2006年12月31日

やじうま傍聴記ができるまで ―大晦日に感謝と反省をこめて

 今回は、感謝と反省の意味をこめまして、今までを振り返ってみたいと思います。私が、何を考えて記事を書いているのか、できるだけ正直に書いたつもりです。
 映画で言うならメイキング映像といったところです。初めて当ブログにお越しの方や、裁判に関する記事を読みたいだけの方には、全くもって無駄な記事なのでしょう。
 とはいえ、私が何を考えているのか表明しておけば、記事を読む上で役立つかもしれません。

T.「名古屋地方裁判所やじうま傍聴記」の由来とは

1.「負け犬の遠吠え」的な発想から
 一つには自虐的な意味からです。
 どうして裁判が傍聴できるようになっているのかというと、公正な裁判を保つために、国民が監視できるようにするためです。憲法第82条に定められています。
 私は、確かに公正な裁判を望んでおり、そのために傍聴している面はあります。しかし、「どうせやじうま気分なのだろう?」と言われると、残念ながら言い返すことは難しいと考えています。やじうま的な興味が全く動機に無いなどと言うのは嘘になります。私は、そこまで高尚ではありませんし、むしろボンクラのダメ人間です。その言い争いには勝てそうにありません。
 それで、初めから「やじうま」を名乗ることで、そういった言い争いから降りてしまおうという意思を表明しました。

2.気軽に傍聴してもらいたいから
 二つ目は空の傍聴席を無くしたいという気持ちからです。
 誰も傍聴していない裁判はたくさんあります。特に、安価な物を盗んだような事件で、身寄りのない被告人の場合、傍聴席に誰もいないことだって珍しくありません。
 私は、どれだけつまらない事件だったとしても、誰も傍聴していない法廷が存在することが気に入りませんでした。不謹慎ではありますが、やじうま気分の連中でも構わないから、誰か傍聴してやってくれと思いました。そこで、「やじうま」という名前を付けて、気軽に傍聴できるようアピールし、傍聴席を埋めようと考えました。
 もしかしたら、不謹慎な傍聴人で埋め尽くされるかもしれませんが、誰も見ていないよりはマシだろうと考えています。また、心の中が不謹慎な気持ちであっても、他人に表明しなければ分かりません。その意味では、傍聴の動機よりも、態度に重点を置く必要があると考えています。ですから、傍聴記を書くにあたって、「やじうま気分は仕方がないが、それをあからさまに表明するのは恥ずかしいことだ」と、それとなく主張していこうと常に思っています。

3.「漢字ひらがな漢字」という見た目のバランスから
 要は見栄えです。
 変換候補には、「野次馬」「弥次馬」という漢字もありますが、全部漢字にすると読みにくいと思いました。そこで「やじうま」とひらがなで表記することにしました。


U.私が興味を惹かれる裁判

1.ダメっぽい方が被告人
 被告人が、だらしなかったり、怠け者だったり、人付き合いが下手だったり、酒ばっかり飲んでいたりするような、ちょっとダメっぽい方の裁判に興味を持ちます。
 その理由ですが、まず一つには、私も似たような所があるので、共感する部分が多いという点が挙げられます。もうちょっと頑張って仕事を続けていれば…、パチンコさえしなければ…、そんな被告人は珍しくないのですが、私にはそこで怠けてしまった被告人の気持ちが分かるような気がするのです。

2.弱い立場の方が被告人
 具体的に言うと、貧困の方、差別される方、病弱な方、などが挙げられると思います。いくつか重なっている方もいます。
 ただ、この点に関しては、本当にケースバイケースで、一概に言えることはありません。なお、1と重なる被告人に興味を持つことが多いです。

3.ご家族と疎遠もしくは身寄りのない被告人
 これは最も気の毒に思うパターンです。ただ、家族がいなくとも代わりになる方がいれば、問題ないと思います。
 家族がいないと、身柄が拘束された場合に、様々な不便を被ります。家族がいれば、面会に来てもらえる上に、被害者と示談交渉をしてくれるかもしれません。もちろん、弁護人が誠心誠意対応してくれますが、家族の愛情にはかないません。
 人が心を入れ替える動機として語られる、「大切な家族のため」というセリフは、万国共通だと思います。実際、裁判でもよく聞くセリフで、そのほとんどが嘘ではないと思います。それをきっかけにして更生する方も少なくないでしょう。そう考えると、家族と疎遠だったり、身寄りがなかったりする場合には、更生が難しくなる可能性があるかもしれません。かなりのハンディキャップとなる場合もあるでしょう。
 ですから、日頃からご家族とは仲良くして、離れて暮らしている方とはよく連絡をとって下さい。
 しかし、家族から邪険に扱われている方や、全く身寄りのない方もいます。乳幼児であれば、養子にもらわれていったり、里親が見つかったりする可能性もあるでしょう。しかし、60歳近いおじさんの保証人(アパート借りる時など)になろうという心の広い方など、あまり存在しません。いや、たとえ20〜30代であっても、養子縁組は難しいだろうと思います。家(いわゆるイエ)の存続には血筋が重要なのです。
 家族と疎遠の方や身寄りのない方が罪を犯した場合、再チャレンジの道は険しくなると考えられますので、失敗が許されない上に選択肢の少ない人生を歩まざるを得ません。
 私は、更生へのヒントを見つけるべく、今後も注目していこうと考えています。

4.自白事件
 自白事件は被告人が公訴事実を認めている裁判です。つまり、被告人が、「間違いありません」と、罪を認めた裁判です。
 被告人が罪を認めている裁判はすぐに終わります。何度も通う必要はありません。ほとんどの自白事件は、初公判で結審し、その3週間後ぐらいに判決が言い渡されます。
 私は、できるだけたくさんの裁判を傍聴したいと考えていますので、否認事件を追うことはあまりありません。
 注意すべき点は、主な争点は情状なので、被告人が些細な嘘をついていたとしても、あまり追及されないことです。もしかしたら、「家出していた」という被告人は、証人として出廷してくれた配偶者の手前、「愛人宅に泊まっていた」とは言えないのかもしれません。
 私は、被告人にも色々事情があると思うので、よっぽどの矛盾がない限り、記事では触れないでおこうと思います。


V.どんな裁判を記事にしているのか

1.他のメディアが伝えない裁判
 有名な裁判について書けばアクセスは上がるかもしれません。しかし、大手マスコミがすでに報じていますから、私のようなボンクラが対抗して書いたところで勝ち目はありません。
 そこで、他のメディアが全く注目していない裁判ばかりを取り上げ、競争しないでおこうと考えました。
 我ながら良いアイデアだと思いましたが、今のアクセス数から想像するに、さほど効果は上がっていないように感じます。それでも、すぐに効果が上がるとは限りませんから、このまま続けてみようと思っています。
 また、大手メディアやニュースブログが扱う事件は、珍しい事件だと思います。
 ほとんどの刑事裁判は、金に困って泥棒したか、覚せい剤の自己使用で、変質者の猟奇殺人は滅多にありません(ただし、開廷表を見る限り強姦は決して少なくないような気がしますが…)。なお、殺人で多いのは、いわゆる怨恨です。
 もちろん、珍しい出来事を扱うのがニュースの役割ですから、大手メディアやニュースブログの方向性は間違っていません。また、儲けを出すには多くの人に見てもらうことが不可欠で、そのためには多数派を驚かせる必要がありますから、経営戦略としては優れているのでしょう。この点については批判する必要がないと考えています。それに、批判して改善されたら、このブログの存在価値が薄まるので、困ってしまいます。

2.頻繁に行われている裁判
 1を踏まえた上で、彼らが扱わないような出来事のうち、頻繁に起こっているものを伝えれば、ある程度は需要があるのではないかと考えました。
 例えば、息子がダメ人間だったとして、テレビで不安を煽られて「いつか猟奇殺人を起こすのではないか」と心配するよりも、「覚せい剤に手を出さないか」、「高利貸しから金を借りないか」、「金に困って万引きしないか」などと、手を出しやすそうな行為を心配した方が効果的だろうと考えられます。
 例えば、防犯対策をする時に、新聞で不安を煽られたとしても、滅多に起きない犯罪を(特に貧乏人が)大金かけて防ぐのはバカバカしいと思います。
 ここで言っているのは、「猟奇殺人の危険が少ない」ではなくて、例えば防犯対策するのなら、「ご自分に迫る確率の高い犯罪を優先して下さい」というようなことです。それは人によって違います。その手助けができたら幸いだと考えています。
 また、ご自分や身近な方が罪を犯してしまった場合に、後悔しない訴訟をするためには、あらかじめ裁判の様子を知っておくと良いかもしれません。有利な事情を充分に主張するにはどうすれば良いのか、皆様の参考となりましたらこれ以上の幸いはございません。


W.面白い記事を書くために

 ここで言う「面白い」とは、「面白い映画だった」、「パート1のほうが面白かった」など、「心が惹かれる」という意味で用いています。もちろん、「滑稽な」という意味もあり、それも心が惹かれるための重要な要素です。それでも、滑稽なだけでは、人の心を惹くことはできません。私は、様々な手段で、多くの方々の心を惹こうと考えています。
以下は、これまでの経験から考え出したものです。ただ、いつも一杯一杯でどうにか書き上げていますので、最近でもこれらを有効に使えているわけではありません。

1.面白そうなタイトルをつける
 最も気を遣っているのがタイトルです。面白そうなタイトルをつけなければ記事を読んでもらえません。
 私は、調べ物をする目的でweb検索することが多く、ほとんどのサイトを5秒以内に閉じます。理由は、「一見する限りほしい情報がなさそうだから」、です。それでも、ついつい興味を惹かれて、調べ物を忘れてしまい、時間を忘れて読みふけってしまうサイトもあります。そこで、自分のブログにおいては、まず目に飛び込む記事のタイトルを、できるだけ面白そうなものにしようと考えました。
 参考になるのは、週刊誌の見出し、広告のキャッチコピーなど、「金を出させよう」という目的で考えられているものです。ただ、週刊誌はタレントの知名度に依存する見出しが多く、広告は中途半端であるため、そのまま使えるものはありません。その構造を分析して上手に応用する必要があるのでしょう。
 それでは、誠に恐縮ではありますが、私が独断と偏見で、当ブログの見出しNo.1を選んでみようと思います。

「シュークリーム盗難事件 被告人はコワモテのいじめられっ子」(2006年08月03日)

 この見出しのポイントは、コワモテなのにいじめられっ子というギャップ、シュークリームなのに「盗難事件」という大げさな表現、この二点です。さらに、記事の内容が想像できるため、ある程度はうまくいった例だろうと思います。更新直後のアクセスは比較的多かったように感じました。

2.先に伏線を張っておく
 伏線という言い方は大げさかもしれません。あらかじめ、どこがポイントなのか、一言書いておくのです。それとなく書くこともあれば目立つように書くこともあります。
 参考になるのはテレビ番組のCM引っ張りです。例えば、クイズ番組の場合、CM直前に出題し、CM中に答えを考え、CM明けに答え合わせをする。こうすることでチャンネルを変えられないように工夫をしているようです。つまり、視聴者は、CM前に疑問を持ち、その答えが知りたくて続きが気になってしまうのです。そして、その答え合わせが済むと、合っていても間違っていても、なぜか快感です。
 こうした心理を利用すれば面白い記事になるだろうと考えました。読者は疑問を追う形で文章を読み進めるのです。考えてみますと、この仕組みなしには、ほとんどの小説は成り立たないかもしれません。

3.嫌味な文章を避ける
 皮肉が行きすぎると反感を買ってしまいます。もちろん、皮肉を上手に使うことで、魅力的な文章を書かれる方も大勢おられます。しかし、そのさじ加減は難しく、私には自信がありません。
 多くの人は嫌な気持ちになる文章を読みたくないだろうと思います。自信がないうちは嫌味の少ない文章を目指そうと考えています。

4.何らかの結論を提示する
 裁判を傍聴して、その内容を考え、調べ、とりあえず何か思い付くことがあります。私は、それを結論と称して、記事に書いています。
 どうしてこんなことをしようと思ったかというと、大手メディアが警察発表をそのまま流していることに、疑問を感じたからです。よく、新聞やテレビは、何かが問題だと言って、年金だの格差だのと特集を組みます。私は、それを見せられたところでどうすることもできないため、「で、私にどうしろと?」と言いたくなってしまいます。
 そこで、私は私なりに考えて、裁判でのやりとりの他に、具体的な何かを記事に付け加えようと思い付きました。それを結論と呼んでいます。勝手に呼んでいるだけなので正しいのかどうか知りませんが…。
 それで、結論として相応しいのは、具体的に行動できることです。読者でも行動できることならベストだろうと思います。
 よく書いてしまうのは、問題の解決法として、「関係各所の御一考をお願いする」だとか、「政府は無責任な政策をやめるべきだ」などの、丸投げです。これをボンクラな私が言う価値など全くありません。できるだけ避けるように気を付けています。ボンクラならボンクラらしい視点から書いた方が良いと思うのです。
 それで、最も多かった結論は、家族(もしくは代わりになる人)の支援を受けて、無駄遣いをしないで、無理のない仕事を見つけて、地道に暮らして下さいということです。これこそ誰でも分かっていることで、書いても無駄な気もしますが…。まあ、実際これが更生への近道だと思うのです。
 気を付けるべき点は、犯罪の動機にしても、更生の方法にしても、様々な要素がありますから、さほど単純ではないということです。単純な結論に飛びつかないように気を付けたいと思っています。

5.無理に盛り上げない
 極端に煽ったり冗談を言ったりしないように気を付けています。
 初めの頃は頑張って盛り上げようとしたこともありました。しかし、無理に盛り上げるよりも、裁判のやりとりをそのまま伝えた方が面白いことに気付きました。
 やはり、煽ったり冗談を言ったりするのは、一過性の盛り上がりであり、記事全体から考えると部品の一つに過ぎません。たいして面白くないばかりか悪ふざけと勘違いされてしまうかもしれません。もちろん、煽ったり冗談を言ったりするのは、面白い記事を構成する重要な要素です。しかし、こだわりすぎる必要は無いと考えています。


X.謝罪と釈明

1.検察官に厳しすぎた
 振り返ってみますと、私の記事は検察官に厳しすぎる点が多く、彼らには非常に申し訳なく思っています。
 私は自白事件を多く扱います。自白事件では余罪の追及が行われます。このうち、本件とあまりにかけ離れたものであったり、強引なこじつけで常習性を主張されたりすると、どうしても一言付け加えたくなってしまいます。やはり、他人様に読んでいただく文章ですから、権力に対しては厳しい目を向ける必要があると思います。
 今後は、必要以上に厳しくならないよう、上手なバランスを心がけたいと思います。

2.登場人物の容姿が実際とかけ離れていた
 私は、登場人物の容姿について、よく著名人に例えます。読まれる方がイメージしやすいだろうと思います。
 その結果、本来の容姿とはかけ離れた場合もあり、正確さを欠いた可能性があります。

3.メモできなかったことはほとんど思い出せない
 私は、メモできなかった発言について、裁判終了後に思い出してメモを付け加えますが、ほとんど思い出せません。
 ただし、メモの内容を見て、前後のやりとりと比べると、だいたい思い出します。私の場合はメモできるのかどうかがポイントとなります。また、容姿や法廷内の様子などの視覚情報については、多少マシだろうと思います。

4.細かい言い回しは記憶で補っていた
 ノートへメモする時に細かいところを抜かすことがあります。一つ例を挙げます。

べ せっかくいい仕 ついても 自分で 辞 のじゅく なる じゃ?
はい

 これは私のノートに書かれたメモを打ち込んだものです。このメモを記憶で補って、

弁護人:「せっかくいい仕事に就いても、自分で辞めてしまったら、野宿生活になるのは当たり前じゃないですか?」
Eさん:「はい」

という形に仕上げました。
 この場合、「当たり前」という言葉を付け加えましたが、実際には違ったかもしれません。それでも、話の流れや、「はい」という答えから、「当たり前」という言葉の可能性は高そうです。
 また、「じゃ?」から、「じゃないですか?」に発展させましたが、これも実際は違ったかもしれません。「じゃないの?」「じゃにゃあのか?」「じゃなかですか?」「じゃないかしら?」でも構いません。それでも、弁護人はインテリ風でさほど訛っていなかった記憶がありますから、ですます調の可能性が高いと思います。
 このように、メモは重要部分を優先し、細かい口調は記憶で補って、だいたい合っているだろうという線を狙っています。記事にするにあたって、細かい口調よりも、だいたいの要旨が合っているかどうかが重要だと思うからです。
 ただし、屁理屈を言えば、「野宿生活になるのは身勝手じゃないですか?」と言った可能性もあるかもしれません。「身勝手」を書き損じたという可能性です。ちょっと文章がおかしくなりますが例と言うことでお許し下さい。
 この場合は質問の意味が正反対になってしまいます。こういうミスが無かったとは言い切れません。ですから、法廷でメモをとる時には、言葉の取捨選択を間違えないように、十分気を付ける必要があります。
 今後は、慎重にメモをとり、慎重に記憶をたどり、できるだけ正確な記事にするよう努力したいと思います。


Y.裁判傍聴を続けて気付いたこと

1.貧困者を法務省の予算で養うのは割に合うのか否か
 窃盗の被告人の多くは貧困に苦しんでいます。彼らは、数年間刑務所で暮らし、再び出所します。その後、職にありつけなかった者は、生活に困って再び罪を犯します。
 彼らの多くは、「仕事さえあれば…」、「腹が減って困ったのでやってしまいました」などと、貧困によって犯罪に及んでしまった旨を訴えます。裁判では、有利な事情として考慮されるものの、彼らの多くが再犯であることから、たいてい実刑判決が下されます。
 彼らは、「刑務所志願者」と呼ばれ、冗談のネタにされます。
 さて、貧困者を救うのは、慈愛の精神溢れるお金持ちか、一般的には生活保護や社会福祉です。それで、前者については慈愛あるお金持ちに期待するとして、後者は厚生労働省の管轄となります。
 つまり、厚生労働省の予算で助けてもらうはずなのに、彼らは法務省の予算にたかっているのです。もちろん、貧困だろうが金持ちだろうが、罪を犯したら刑罰を喰らうのはあたりまえですが…。
 やはり、貧困に苦しむ被告人の中には、生活保護や社会福祉から見捨てられた方もいます。例えば、70代なのに、「まだ働けるから」という理由で、生活保護を断られた被告人がいました。意地悪な言い方をすれば、貧困者を「厚生労働省が法務省に押しつけた」という形です。
 その分、厚生労働省が負担(実際には地方自治体も一部負担)するはずだった予算が浮き、法務省が負担することになります。しかも、生活費だけでなく、矯正教育の費用が余分にかかります。
矯正予算として年間一人当たり約270万円の税金が投入されているのだ。(223ページ)
「累犯障害者」 山本譲司著(新潮社刊)

 この本では、それだけの予算をかけながらも障害者が『ただ「処遇困難者」として寮内工場のような場所に隔離されているだけ』となっている現実に疑問を投げかけ、障害者向け処遇の問題点を指摘しています。この本はテーマが違うので、数字を引くのはふさわしくないかもしれませんが、他に見つけられなかったのでご容赦下さい。
 今度は、厚生労働省のホームページから、生活保護の金額を拾ってきました。もちろん、とりあえず一例として生活保護と比較しているだけで、貧困者を救う方法は生活保護以外にもたくさんあります。
(平成16年度生活扶助基準の例)
高齢者単身世帯(68歳)
東京都区部等 80,820円  地方郡部等62,640円
「生活保護制度の概要」より (厚生労働省)

 この他に、住宅扶助や医療扶助などがあるため、一人当たりにかかる金額はもう少し高くなると思われます。また、この金額が、月額なのか2ヵ月分なのか年額なのか、よく分かりません。もし、月額だとすると、5万円のアパートに暮らしたとして、1年で1,569,840円となります。さらに医療費もかかりますが、これは刑務所でもそれなりに医療が受けられるはずなので、ここでは相殺しておきます。
 山本氏の本では、「矯正予算として」という記述があり、その定義についてはよく分かりません。それでも、単身老人の場合では270万円(プラス訴訟費用)に満たないため、貧困者を刑務所で養うことが割に合わないのではないかと、疑問を持たざるを得ません。
 ただし、生活保護を断られた70代のほとんどが罪を犯していないとしたら、これは全然たいした問題ではないかもしれません。
 それでも、生活保護や社会保障、刑務所にまつわる統計データは、多少の誤差を見込んで読み解く必要があると言えるかもしれません。さらに言えば、刑務所志願の常連さんが減れば、刑務所に空きができるため、矯正教育の効果が上がる可能性があると思います。
 いずれにしても、金に困って刑務所に行かれるのは、見ていて気持ちよいものではありません。人情としては社会にとどまってもらいたいです。

2.消費者金融の審査は機能していないのではないか
 ある被告人は、友人を恐喝し、消費者金融で借りさせた金を取り上げ、遊び暮らしていました。ところが、彼に対して、どこかの消費者金融は200万円もの融資をしていたのです。もちろん、高い利子が付きますから、借りたお金は少額だったかもしれません。それでも、脅し取ったお金で遊んでいた人に返せっこない金を貸したのですから、この消費者金融の審査は機能していません。
 もしかしたら、両親が健在であることまで見抜いて、「本人は無理でも親から取り立てればいい」とでも考えていたのでしょうか?

3.捜査機関が捜査機関の人間を証人に呼んで証拠になるのか否か
 これは先日の記事でも触れました。否認事件では、検察官が警察官を、証人として呼ぶことがあります。もちろん、正直に証言して下さるなら問題ありません。しかし、捜査が検察官に引き継がれ、裁判になってしまった以上、「間違ってました」「記憶にないです」などと、警察官が自らの捜査を否定する証言はしづらいと思うのです。検察官と警察官では力関係がありそうですし…。
 ある裁判では、ひったくりグループの一員である被告人が、一つの事件についてのみ否認していました。他の事件については自白して反省の言葉を述べています。そこで検察官が証人として呼んだのが捜査にあたった警察官です。私は、「じゃあ警察官が作成した調書って何なの?」と頭が混乱し、「あなた方は一緒に捜査してたんじゃないの!?」と仰天してしまいました。まあ、よく考えてみたら、裁判所だって法務省の仲間なのですから、問題ないのかもしれないけれど…。
 もちろん、警察官の証人は、裁判の証拠として有効です。それでも私は、警察官が証言台に立つたびに、何となく胡散臭い印象を持ってしまいます。


Z.参考になった書籍
 以下は、直接引用したことはないものの、裁判傍聴と記事の執筆に、大変役立ちました。ありがとうございました。

「裁判・訴訟の仕組みがわかる事典」 高橋裕次郎監修 (三修社刊)
「常識としての刑法」 板倉宏著 (ナツメ社刊)
「図解雑学 犯罪心理学」 細江達郎著 (ナツメ社刊)


[.最後に
 何だか偉そうに語ってしまいました。心苦しいものがあります。
 それでも、何を考えて傍聴したり記事を書いたりしているのか、一度ぐらいは表明したほうが良いような気もします。私は、繰り返し書いてきたようにボンクラですが、ボンクラゆえに気付いたこともたくさんありました。
 もし、このブログをご覧になった方のお役に少しでも立てたのなら、これ以上の幸せはございません。
 それでは良いお年をお迎え下さい。
【関連する記事】
posted by 絶坊主 at 02:08| Comment(0) | TrackBack(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/30559785
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。